兄弟と違い…
不器用な自分!!
中村一家の4兄弟末っ子として生まれた
明治生まれの祖父母、大正生まれの厳格な父、その父を支える母に育てられた4兄弟は、それぞれ個性豊かであった。小さなころから長女は勤勉。長男は何をやってもリーダーになり何でも出来た。次男はユーモアたっぷりで周りにいる人がいつも笑顔になっていた。自分はというと姉、兄達の様に特に秀でる物は無かったが皆の様になりたいと思っていた事も何度かあった。こればかりは生まれ持った天性であり、どうあがいてもできる事ではなかったが、与えられたことをコツコツあきらめずにやり続けて、いつか人を笑顔に出来る人になりたいと感じていた。
経営をはじめても同じ悩みにぶつかる
私はお客様と従業員を笑顔にする
商人の家系で育って来た秀夫も例にももれず、28歳の時に埼玉県北本市で家電ディスカウント店の経営を始めた。OPENしたお店は業績もよく、多くのお客様が秀夫のお店を訪れた。日々寝る間も惜しんで、毎日商品を仕入れて、自らチラシ作成し、従業員教育をしてと必死にやってきた秀夫。いよいよ自分も、これだけ多くのお客様に囲まれているのだから、兄達以上に人を幸せに、笑顔に出来ているのではないかと少しずつ自信を持ち始めていた。
お客様を幸せにし、笑顔にするつもりが…
ある日、久しぶりに売り場を客観的な立場で見ながら、お客様の表情を見ていた。
さぞ多くのお客様の笑顔に毎日溢れているだろうと想像していたのだが、残念ながら感じたのは、退屈そうにレジを並んでいるお客様の姿だった。
確かに当時、地域のどこのお店よりも家電・ゲームソフトを安く提供していた。実際に多くのお客様に貢献できていたと思っていたが、お客様が商品を購入する時、お金を支払うというストレスが生じてしまう。その瞬間、お客様の顔は笑顔であることが少なく、無表情であったり、退屈そうな表情であった。また、よくよく見てみると従業員にも笑顔が少なく、必死に働いているだけに見える・・・。秀夫は愕然とした・・・ようやく自分も兄達のように人を笑顔にしていると思っていたのだが、それは自分の思い込みであったのだ。
「創業の理念」と大きくかけ離れていた現実に気付いた!
創業の理念
- 一. 私たちは毎日お客様に楽しさと笑顔を提供します
- 一. 私たちは毎日お客様によりよい余暇を安く提供します
- 一. 私たちは毎日お客様に対し、親切で笑顔と明るい言葉で人々に接し、満足のいける職場を作ります。
- 一. 私たちは毎日あらゆるのもごとに情熱を持って当たりお客様に対し昨日よりも今日、今日よりも明日より善くなることを誓います。
魔法のクレーンゲームとの
出会い
秀夫の直感が働いた!!
思えばクレーンゲームとの出会いは偶然だった。
普段はゲームセンターに行かない秀夫だが、休みの日に子供にせがまれて、街の小さなゲームセンターでクレーンゲームを楽しそうにやっている親子の姿を見たことだった。「これかもしれない!!」秀夫の直感は働いた。
ストレスからワクワクへの変換!!
クレーンゲームは、秀夫の悩みを解決してくれる魔法の機械だった。お金を払うのに、3回もワクワクできる魔法の機械です。100円玉入れる1回目のワクワク。操作をする時の2回目のワクワク。取れた時、取れなかったときも3回目のワクワク。 一緒に遊んだ友人や恋人、家族とも楽しむことができる。景品をとれたその瞬間は達成感や嬉しさでいっぱいになれる。取れなかったとしても、悔しい!もう一度!とチャレンジ精神が駆り立てられる。そのような仕掛けに満ち溢れた機械だったのだ。
クレーンゲームで笑顔を生み出す!
クレーンゲームで遊ぶお客様の顔は笑顔、笑顔、笑顔!の嵐。そして従業員も楽しく仕事をし笑顔が溢れていた。「小さなころから求めていた感覚はこれだ!」と秀夫はとても感激した。 そしてお客様の笑顔と働く人の笑顔をもっともっと増やしたくなった。当時、資金もなかったため、中古のクレーンゲームを全国からかき集めた。いつの間にか、クレーンゲーム専門店のお店が誕生することになった。
当時の想い
[代表理事]中村秀夫
私はクレーンゲームと
出会ったことで
人生が変わった!
創業当時は、お客様に楽しみを提供したいと思い、ディスカウントの小売業で創業致しました。しかし、安く売るだけでは、物足りなさを感じてきました。もっと、沢山の笑顔を増やす仕事がしたい。そんな中、1台のクレーンゲームであったことがきっかけとなりクレーンゲームの虜になりました。現在はクレーンゲームを通じて笑顔溢れるテーマパークを作ってきたいと考えております。
代表理事の妻(中村綾子)の
「地道なフォロー」
クレーンゲーム1台を導入した当初、お客様にアピールするために、365日朝6時にはお店のドアを開けてクレーンゲームを設置する作業を繰り返し繰り返し行ってきました。妊娠している時も、重い身体ではあったものの、夫とお店を支えたい、お客様に喜んで欲しい、その想いで来る日も来る日も行ってきました。
当時の想い
[代表理事の妻]中村綾子
増えていくクレーンゲーム…。
正直、毎日大変でしたがクレーンゲームを楽しみに来店してくれるお客様の笑顔を見ると、続けられました。そのお客様が喜んでくれた声や様子を夫に伝えると、クレーンゲームが1台また1台と増えていきました。いつの間にか、お店の中はクレーンゲームだらけになり、そして笑顔溢れるクレーンゲーム専門店になってしまいました。
しかし、時代の波に勝てない苦悩の日々が続く
閉店に追い込まれていくゲームセンター・・・
クレーンゲーム専門店は順調に4店舗までお店を増やしてきた。それと同時にお客様の笑顔も、 スタッフの笑顔も増えていった。順調そのものに見えた。しかし、時代は変わり、スマートフォン、オンラインゲームの台頭などの影響で、ゲームセンター業界には逆風が吹き、多くのゲームセンターが閉店に追い込まれていった。
ゲームセンター等の
営業所数(推移)
ここでは警察庁がこれまでに発表してきた「警察白書」や「風営白書」を元に、
ゲームセンターの営業所数推移を紹介します。
平成14年から平成25年までの「許可を要しないゲームセンター等」の営業所数が警察庁の資料に無いため、この部分のみ総数は「実態調査」より引用しています。
秀夫の経営していたゲームセンターも
その逆風に飲み込まれた。
徐々に遠のく客足。あれだけ笑顔に溢れていた店内は閑散とし、スタッフの表情も暗く・・・次第に秀夫の心も暗く沈んでいった。 そんな中で起きた東日本大震災・・・。クレーンゲーム台は倒れ、震災後の計画停電などの影響で経営もままならず。その後の電気代の高騰もあり、お店の経営の継続が難しくなった。事実、4店舗あったゲームセンターはたった半年の間に全店閉店に追い込まれた。
行き場を失ったクレーンゲーム達
行き場を失ったクレーンゲーム達
秀夫も涙が止まらなかった・・・
あれだけ笑顔を作り出したクレーンゲームは、埃をかぶり、行く当てもなく、駐車場に数百台放置された。思えば、たった1台からスタートしたクレーンゲーム。集めに集めた数百台。大事に大事につかってきた息子・娘のようなクレーンゲーム達・・・。
クレーンゲームの墓場のような姿をみて、妻は涙が止まらなかった。その隣にいた秀夫も涙が止まらなくなった。こんな光景を見るために経営してきたわけではない。
もう一度このクレーンゲーム達を輝かせよう!
まだやることがあるはずだ・・・・もう一度このクレーンゲーム達を輝かせようと思った。不思議なものだが、ふと埼玉県の行田市にある空き物件を思い出した。その場所は・・・・畑のど真ん中にある場所で・・・かつてはゲームセンターがあったが、撤退しあまり良い立地ではなかった。しかし秀夫は確信した。
「ここなら、再度このクレーンゲーム達に活躍の場を与えることができる!」お客様や従業員を笑顔にできると感じ、急いでこの物件を契約し、破棄寸前のクレーンゲーム達を整備し、設置した。こうして誕生したのが、『世界一のゲームセンターエブリデイ行田店』である。
ギネス記録を取ったが
経営は厳しい
笑顔<粗利益
現在エブリデイ行田店は、経営も安定し、多くのお客様がご来店して下さっています。しかし開店して2年間は、大きな赤字だった。 クレーンゲーム達を集めた台数は、世界一のギネス記録として認定されたが、時代の逆風の流れは厳しく、さらに高騰した電気代による経営の圧迫に耐えきれなかった。 その中で秀夫の経営方針も揺らいでいく。あれだけ「お客様の笑顔」を作る為の経営も、いつの間にかクレーンゲームが生み出す粗利益にばかり目がいくようになった。不思議なもので、それはお客様にどんどん伝わり、また客足が離れていく。 暗闇に陥ったようだった。
行田店店長の一言で
原点に立ち返る
「俺、もっとお客様に笑顔になってもらいたいです!」
暗闇に陥った秀夫を救った言葉がある。
「俺、もっとお客様に笑顔になってもらいたいです!」
今ではクレーンゲーム名人、日本クレーンゲーム協会のプロ講師として活躍しているエブリデイ行田店店長の五十嵐直也が放った会議の一言だ。秀夫は「はっ」とした。いつの間にか、自分は粗利益ばかり求める経営者になっていなかったか?通常のゲームセンターの経営のように、新しい台を購入するばかりの努力で、接客をないがしろにしていなかったのか?クレーンゲーム台数は世界一だが、お客様の笑顔を生み出した数は世界一なのか?
胸に手を当てて聞いてみると・・・・すべては、NOだった。
もう一度、原点に立ち返ろう。秀夫は心に決めて、再度進みだした。
今ではお客様と従業員の
笑顔が溢れる店内!
私たちは、装置産業ではなく、
接客業である!
お客様に笑顔になって帰って頂こう!
そうして、ゲームセンターでは異例ともいえる毎月数回にも及ぶ研修を通じてのスタッフ 教育をスタートさせた。
スタッフたちとたくさんのディスカッションを重ねた。日々日々、地道な改善を積み重ねた。
お客様にその思いは伝わるのだと思う。次第にエブリデイにたくさんのお客様が戻ってきた。いや、戻ってきたどころではない、過去こんなにお客様が溢れる店内を見たことがないというぐらいの人が溢れるゲームセンターになった。
そして…
日本クレーンゲーム協会
の設立
[代表理事]中村秀夫
クレーンゲームで
人生が変わった私に
出来る事!
全国のゲームセンターが閉店に向かっている、それと共にクレーンゲーム文化も衰退に向かっている。何とか、貢献できないものか?力になれないものか?
そうして、悩む中で、決めたのが一般社団法人日本クレーンゲーム協会の設立である。今、私は日本中のゲームセンターを活性化し、クレーンゲームの、ブームを再度起こしていきたい。その思いで、日々活動中です。