日本クレーンゲーム協会

世界のクレーンゲーム

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クレーンゲームのルーツ

世界初のクレーンゲーム「DIGGER」の始まりは1896年に作られたキャンディ・ディスペンサーであるとされています。 これはクランクを手で動かす機械で、当時はとても独創的なものでした。 1920年代中盤には、「ERIC DIGGER」と名づけられた初代クレーンゲームが生産され「DIGGER」は1セントまたは5セントコインで遊ぶことができました。 字型の蒸気ショベル(クレーン)は3つのガラス窓が張られた堅固な木製のキャビネットにいれられ、手動で動かされていました。 当時は、電灯以外は電気を使わないとても原始的な機械だったのです。 1920年~1930年代の間に他の多くのメーカーがクレーンゲームに独自の工夫を加えて生産を始めました。 これらのほとんどは、電気を動力源とし、稼動に人間の力は必要ありませんでした。

1920年~1930年代の間に他の多くのメーカーがクレーンゲームに独自の工夫を加えて生産を始めました。 これらのほとんどは、電気を動力源とし、稼動に人間の力は必要ありませんでした。当時は、シカゴの景品会社(Exhibie Supoly Co,)が製造したものや、ニューヨークのInternational Mutoscope Reel Co.などのメーカーが生産した景品が人気で その他にも多くのメーカーがありました。しかし、マシンの人気や増加に伴い、頭の良い経営者は景品としてセロファンに包まれたコイン、紙幣を使用するようになり、次第にクレーンゲームはギャンブルの道具のように使われるようになります。

1920年代を通じて、クレーンゲームは通常1プレイ5セントで遊ぶことができ、マシンは遊園地、遊歩道、都市の公園・・・どこでも見かけられるようになりました。 その後「DIGGER」はカジノ、州、国、世界と活躍の拠点を増やし、素晴らしい収益をあげるようになりました。1930年代には美しいホテルの装飾に合うようにデザインされた精巧な作りのマシンが作られ、これらは「ホテルモデル」として知られ、今でも多くのコレクターが探し求めています。しかし、「DIGGER」の活躍の販路が広がるとともにギャンブル性も色濃くなっていきました。 現在は子供達が遊ぶクレーンゲームも、この頃はまだ大人のギャンブルの道具でだったのです。

「DIGGER」は、1951年の法律改正によって急激に変化しました。 新しい法律では無許可でギャンブル機器を輸送や稼動させることを違法とし、 全ての「DIGGER」をギャンブル機器として登録するよう定めました。 それによって「DIGGER」は、ゲームとしての「DIGGER」でなく、ギャンブルとしての「DIGGER」となったのです。電気式の「DIGGER」メーカーは、「DIGGER」をベースとした他のコイン式マシンを生産することでこの状況を乗り越えようとしましたが、多くのマシンは押収され破壊されてしまいました。 その後2年にわたって、生産メーカーは仕様の変更を試み、ついにギャンブルとしてのマシンでなくアミューズメントの為のマシンを作ることに成功したのです。 「DIGGER」は再び世の中で稼動し始めたが、それは厳しく定められたガイドラインの下に管理されていました。 そしてこの時はまだ、電気を稼動源とするマシンの使用は禁止されたままでした。1953年には法律の管理化の下、アミューズメント機器としての稼動が許可されました。 しかし、それまでのコイン投入式とは異なりプレーヤーはカウンターでコインを払いスタッフがマシンの裏側で稼動させるという今までとは違った形式での再稼動となりました。 また、それ以前のようなコインや紙幣を景品として使用すること、1ドル以上の価値のものを景品として使用することなどが禁止されたり、 1プレイの料金は10セント以下までと定められるなど多くの規制がありました。

それらの規制がありながらも、1953年から1970年代半ばごろまでDIGGERはアミューズントの現場で稼動し続けた。景品を払い出し、プレーヤーが楽しくプレーする工夫をすることで大きな成功を収めた。その後1974年ごろには、規制の緩和により電気を使用したマシンも再稼動をし始めた。さらには、1プレイの料金上限も25セントまで上げられた。 そして、DIGGERはヨーロッパからアメリカに伝わりヨーロッパでのDIGGERの20年間の進化を終えることになった。 アメリカに渡ったマシンは改造され、大きな景品や豪華な景品を使用することが多くなった。しかし、これらの景品はほとんど獲ることができず次第にプレーヤーは「景品は獲れないものだ」とプレイすることをやめていった。 1980年代半ばまではDIGGERは過去のものとされほとんどプレイする人がいなかった。 しかし、賢い経営者と企業は品質の高い良い景品を高い割合で払い出すことでプレーヤーを楽しませ大きな成功を収めた。 その後その企業は数百~数千のマシンを保有するまでの成長した。 DIGGERはキャンディベンダーの誕生から始まり、長い道のりを歩み100年経った今でも形を変えながら存在し続け、人々を楽しませています。

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海外でも人気のクレーンゲームですが、特にアジア圏は人気が高いです。 日本では2本爪・3本爪、その他特殊なアームがありますが、海外メーカーでは3本爪のアームが主流です。 景品は日本のキャラクターや日本のプライズメーカーの景品が人気でがあり、こんなキャラクターも海外にあるの?っていうぬいぐるみも目にしますね。ゲームセンター以外にもホテルや遊園地に設置されていることも多くみられ、世界中に浸透してます。たった1台のクレーンゲームから世界中に広がり、現在もその人気は衰えることはありません。 中身の景品はそれぞれですが、クレーンを操作して景品を獲得するという点は昔から変わっていません。 簡単な操作で大人子供、国籍も関係なく共通して楽しめることがクレーンゲームの大きな特徴で世界中で愛されている理由かもしれませんね。

クレーンゲームの実力、
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